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SIer社員が仕事とプライベートの境界線を考える

投稿日: 2025-07-05 | カテゴリ: 雑談

このままでいいのか、俺の平日夜と土日

ふと、ある平日の定時後。 そろそろ友人との予定が迫っているから、帰る準備をしたい。

ただ当日が期日の仕事が終わっていない。 周りの人は、プライベートな予定で帰っていく。

「定時を過ぎても、仕事優先すべきなのか?」

それって本当に健全? そんな問いを、自分なりに整理してみたくなった。


自分の価値観──“予定”ってそんなに軽いものなのか?

社会人になってから、少しずつ「働き方」の理想と現実のギャップが見えてきた。
その中でも、いま特に譲れないなと思うのが以下のポイント:

さらに、どうしてもモヤっとするのがこれ:

自分が抜けるなら、代わりの人を自分で見つけてね。

え、なんでこっちが代打探すの?
そもそも平日夜や休日に動ける人なんて限られてるし、
それを探すのってマネージャーとか調整役の仕事じゃないの?

というか、俺の立場なんて「下っ端の雇われ」なんだから、定時内で誠実に働くだけで十分義務を果たしてるんじゃないのか?


「予定を入れる自由」がなくなると、人間関係も壊れる

予定って、「確実に守れる」と思えないと入れづらい。

たとえば、水曜の夜に友人から「飲まない?」と誘われても、
「たぶん大丈夫だけど、仕事入ったら無理かも」としか言えない。

で、2回3回とキャンセルが続けば、当然こう思われる。

「あいつはもう誘っても来ないやつだな」

実際、何人かとはフェードアウトした。
そういう予定を入れない、もしくは入れても当日キャンセルするような生活が続くと、
「自分の人生を他人に預けてる」ような感覚になる。

予定すら自由に入れられない社会人って、なんなんだ。


社用携帯を片手に遊ぶという地獄

仮に、予定通り出かけられたとする。 でも、社用携帯がポケットでブルブル震える。

画面には「どこ行った?」やら。

こっちは心をオフにして楽しみたいのに、通知が来るたびに現実に引き戻される。
友人の前で笑っていても、心の中では警戒モード全開。
「遊んでるフリして遊べてない」状態が続くと、本当に疲れる。

新人の頃は、こんな風には感じていなかった。
でも、半年以上、残業ギリギリ45時間で働き続ける中で思った。

「俺、ここまでして働く理由ある?」

「勝手に帰るな」と怒られることはあっても、
夜遅くまで働いたことに「ありがとう」なんて言われた記憶はない。

まあ人はポジティブなことよりネガティブなことを記憶しやすいらしいので、 それなりに感謝されているのかもしれないけど。

まぁ、それに感謝が欲しいわけじゃけどね。 でも、時間を奪われることに無感覚ではいたくない。


みんなが“望まず”続けているこの働き方

わかってる。
上司も好きで命令してるわけじゃない。
上司もまた、その上司や周囲に怒られたくないから言っている。

みんな、自分の意志じゃなくて「そうするしかないから」やっている。
誰も望んでないのに、誰もやめられない。

そんな中で、いいシステムなんて作れるのか?
少なくとも、俺は「いいものを作りたい」って気持ちが萎えてしまった。
どうせ言われた通りに作るだけ。どうせ予定も潰れる。
“モチベーションを殺す”設計で回ってるんだから、まともなものなんてできるわけがない。


それでも、この業界を選んだのは自分なんだ

たとえば、教師のブラックさなんて就活生でも知ってる。

朝8時から夜8時。残業代ゼロ。土日は部活。
「絶対ムリ」と思う。でも、そんな環境でも教師を目指す人はいる。

なぜか?
その人たちは、教師という仕事にやりがいを感じているからだ。

それと同じで、SIerだって決してホワイトじゃないってことは知ってた。
少なくとも、知らずに入ったわけじゃない。

それでも、自分で選んだ道。だから、文句を言いたくない気持ちもある。

でも、このまま黙って働き続けるのもイヤだ。
だから今は、いつか抜け出せるように準備している。


もし自分が管理する立場になったら

じゃあ、もし自分が管理職だったら? あるいはチームリーダーだったら?

でも、それを実現するには“仕組み”が必要なんだろうなと思う。

制度だけじゃなく、チームの雰囲気や文化ごと変えないといけない。
自分がツラかったことを、誰かに押しつけない職場にしたい。


結論:全部が理想通りにはいかないけど、せめて

仕事とプライベート。
どちらも「人生の時間」には変わりない。

もちろん、現実には予定が狂うこともあるし、緊急対応もある。
それでも、譲れないものを一つだけ決めておきたい。

「自分の人生は、自分のものだ」

この言葉だけは、会社の都合や誰かの機嫌に負けずに持ち続けたい。
せめて、ポケットの中に入るくらいの小さな誇りとして。